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LPGA韓国女子プレイヤーに暗雲?

その理由は日本女子プロゴルフ協会(LPGA)が2019年からQTの出場資格を「LPGA会員」のみと改めるからだ。
現状の規定だとプロテストに合格するか、ツアーで優勝して入会資格を得るしかない。

 これまでは非会員でもQT受験が可能で、上位に入ればTP単年登録によってツアー出場が可能だった
米ツアーのキム・ヒョージュは『日本に行きたい』とかねてからいっていたけど、『これで行くチャンスがなくなった』と嘆いているらしい。

2011年に世界ジュニアゴルフ選手権(15-17歳の部)優勝、2012年にはロッテマートレディースオープン(KLPGA開幕戦)を制し、圧倒的な強さを見せているスーパーアマチュア。同年、推薦出場した「サントリーレディスオープン」でツアー初勝利。16歳332日での初優勝は、宮里藍が宮城・東北高3年だった2003年9月の「ミヤギテレビ杯ダンロップ女子」で樹立した18歳101日の国内女子ツアー最年少優勝記録を大きく更新した。さらに同年7月の米女子ツアー「エビアンマスターズ」では4位タイに入る活躍を見せ、10月にプロ転向。夢は米女子ツアーでのグランドスラム。

 現在、日本のレギュラーツアーでプレーする韓国人の賞金シード選手は、イ・ボミ、キム・ハヌル、アン・ソンジュ、イ・ミニョン、申ジエ、李知姫、全美貞、ペ・ヒギョン、ユン・チェヨンの9人。2018年現在、シード圏外には、黄アルム、イ・ナリ、ジョン・ジェウン、キム・ヘリムらがいる。
イ・ボミ
背水の覚悟で新シーズンに挑む。イ・ボミ(韓国)にとって、2019年シーズンは16年賞金ランク1位の資格で得た3年シードの最終年となる。「人間なのでプレッシャーはある。シーズン前半にいい成績を残して、秋は不安なくプレーができればいい」と決意を明かした。
昨季は日本ツアーに参戦した2011年以降、7年ぶりに未勝利。賞金ランキングは83位に沈み、初めて賞金シードを逃した。
復調に向けてオフは1月初旬からタイで1カ月の合宿を行い、コーチのチョ・ボムス氏とスイングの修正を重ねた。「アプローチのタッチがあわないときはバックスイングが速い。良かったときと違うのはそれだけ」と課題を明確にする。
キム・ハヌル
クールな笑顔とスラリとしたスタイルから付けられた愛称は“スマイルクイーン”。イ・ボミとは大学の同級生。韓国の自宅も車で15分ほどのご近所さん。コンビニスイーツが大好物。韓国ツアーでは2011、12年と2年連続で賞金女王に輝いた逸材。2011年、12年の韓国ツアーで賞金女王に輝き、15年に日本ツアーに参戦した。当初は韓国との違いに戸惑いを見せたが、同年9月に行われた「マンシングウェアレディース東海クラシック」で日本初優勝。さらに16年にはメジャー初制覇、17年にメジャー1勝を含む年間3勝を挙げ、押しもおされぬトッププロとなった。
アン・ソンジュ
小学校6年のときに、父の勧めでクラブを握ったのがきっかけ。室内練習場のスクールに入って基礎を身につけ、数々のジュニア大会で優勝。韓国ナショナルチームのメンバーとして、同世代の申ジエらと戦いながら活躍を見せた。2005年にプロ転向を果たすと、2006年6月に韓国ツアーで初優勝。翌2007年は「韓国女子オープン」を含む3勝。2007年、2009年には韓国ツアーで賞金ランク3位に入った。この間に米国女子ツアーのQTに挑戦するも、体調を崩して断念する。2008年1月~2月にかけて、宮崎で合宿を行ったことをキッカケに、2009年末の日本ツアーのQT受験を決意し、ファイナルQT2位で通過。2010年の出場権を得る。 日本ツアーに参戦した10年の開幕戦「ダイキンオーキッドレディス」でいきなり優勝。デビュー戦Vはツアー初の快挙で、ツアー登録からわずか65日目での優勝はツアー制度施行後の最短記録となった。同年4勝を挙げて韓国人選手初となる賞金女王に輝くと、翌年も女王の座に。その後怪我に悩まされた時期もあったが、14年に3度目となる賞金ランク1位。さらに15年には『TOTOジャパンクラシック』で米ツアー初制覇も果たした。参戦以降、順調に優勝を重ね、日本ツアー通算20勝以上を挙げている。
イ・ミニョン
10歳でゴルフを始める。18歳となる2010年にプロ転向。21歳で韓国ツアー初優勝を挙げた。15年に左腎臓がんが発見され、手術も経験したが、そこから1カ月半でツアーに復帰。翌年には復活優勝も果たし、国内で”不屈のゴルファー”と称えられた。17年から日本ツアーに参戦。同年の『ヤマハレディースオープン葛城』でツアー初優勝を挙げるなどシーズン2勝の活躍で、鈴木愛と賞金女王を争った(最終結果は2位)。18年『ダイキンオーキッドレディス』でツアー3勝目を手にした。
申ジエ
父の勧めで11歳からゴルフを始め、2007年に韓国ツアー19試合で10勝と驚異的な勝率をマーク。08年「ヨコハマタイヤゴルフトーナメントPRGRレディスカップ」で国内ツアー初優勝。同年の米ツアーで4勝を挙げた。09年には米ツアーの賞金女王。10年に世界ランク1位。14年からは身体的な負担を理由に米ツアーの会員資格を放棄し、主戦場を日本に移した。15年「meijiカップ」の第2ラウンドから「CAT Ladies」の第1ラウンドの4番まで81ホール連続ノーボギーを続け、日本記録を更新した。
李知姫
12歳から競技を始め、2000年に日本のプロテストを通過。01年「大王製紙エリエールレディスオープン」で初優勝。08年「日本女子オープン」で初のメジャータイトルを獲得。16年「ミヤギテレビ杯ダンロップ女子」を制し、史上3人目の生涯獲得賞金10億円を突破。所属先は、眞露ジャパンを経て、2015年3月現在フリー。日本好きプロとしても知られる。
全美貞
ゴルフを始めたのは15歳のとき。中学時はローラースケートの選手。4年でプロ転向を遂げた。175cmの長身から繰り出す飛距離を武器に韓国ツアーで活躍。2004年にファイナルQTを受け国内ツアーの出場権を獲得。参戦2年目の06年「Meijiチョコレートカップ」でツアー初優勝を飾った。年間3勝を挙げ、賞金ランクで2位に入るなどブレイク。翌07年には3週連続優勝というツアー史上初の快挙を達成。12年には年間4勝を重ね、初の賞金女王となった。13年「PRGRレディスカップ」で優勝。その後は怪我に苦しみスランプに陥った。16年「サマンサタバサレディース」で3季ぶりの復活優勝を飾り涙を流した。「マスターズGCレディース」でも優勝するなど目標と語る永久シード(通算30勝)獲得を目指す。
ペ・ヒギョン
2011年にプロ転向し韓国ツアーに参戦。13年に初優勝を挙げた。この優勝を機に海外ツアー挑戦の意欲が高まり、14年に日本のQTに参戦。出場資格を得ると、1年目となった15年は序盤こそ苦しんだものの『センチュリー21レディス』、『CAT Ladies』で2位に入る等の活躍を見せてシード権を獲得した。16年からはこれまでの『ペ・ヒキョン』から『ペ・ヒギョン』に改名。2018年「中京テレビ・ブリヂストンレディス」で悲願の初優勝を果たした

ユン・チェヨン
父が通っていたゴルフ練習場に付いていったのをきっかけに11歳からゴルフを始める。
172cmの8頭身美女は正確なショットを武器としたクレバーなゴルフが持ち味。本格参戦初年度の2016年からシード権を獲得した。几帳面な性格で、次なる戦いに備えて過去のヤーデージブックを所持しているなど、しっかりと準備をしてから試合に臨む。1987年生まれだが早生まれのためイ・ボミやキム・ハヌルの2学年先輩。

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